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たまたま通り過ぎるだけの花屋。でも僕はそのバラに目が奪われた。初め造花かなと思った。そしてそれを確かめるように眺め続けたというわけだ。
僕の疑問を知ってか、店の方は言葉を続ける。
「最新の科学では、花の茎のどの部分がその花びらに繋がっているのかがわかるそうです。そしてその部分に様々な色を加えて造られたのがこの花なんです」
そして、花をガラスのケースから取り出し、茎の部分を僕に見せてくれた。確かに切り取られた茎の部分に色の色素がにじみ出ている。「へぇーーー」としか言いようがない僕。
「最近評判になっているようですよ」と店の人。確かに、面白いから評判になるのもわかる。
面白いけど、賛否両論があるのかも知れないなぁー、などと内心思う。でも眼前にあるそのバラにはとても興味がわく。そういえば青いバラの話も聞いたことがある。英国で「不可能」の代名詞とされてきた「青いバラ」がバイオテクノロジーによって造られたという話だ。人間の欲望は留まることを知らない、それが人間の性分だとも思う。
眼前の七色のバラが面白いと、しばらく店先で見続けた。それも僕の性分だと思いながら。
僕はカメラで何を撮ろうとしているのだろうか。僕の中には一枚の写真がある。Alexander Paulinのサイトにある一枚で、彼はそれをPCのデスクトップ画像として公開している。Paulinはヌード写真家であるが、この一枚はそうではない。僕がその一枚の写真に感じることは境界線である。一面の壁が一本の配水管によって仕切られている。左側は赤く、右側は表面が剥がれ落ち黒い。あたかも中央にある配水管が一本の境界線のごとく左右の状態を分けている。しかし右側の剥がれの浸食は徐々に境界線を越えている。この写真は僕にとっては美しい、そしてそこに彼が提示する共時的な問題も同時に考えてしまうのである。僕は彼の写真の様な一枚を撮りたいといつも願っている。僕が撮りたいもの、それは「境界線」である。
写真は和蘭海芋(オランダカイウ)
幼いころ花の絵といえばチューリップだった。釣鐘を逆さにし上辺にギザギザを加えて完成するチューリップは、簡単というよりも子供にとってとても印象的な花なのだと思う。それに音楽の時間に習った歌。大人になりチューリップには様々な品種があることを知ったが、子供のころに植えついたイメージは簡単には拭えない。だからか「チューリップ」という言葉を発すること自体気恥ずかしさが先に出る。
そういう意味で僕にとってチューリップのイメージは、現実に咲いている姿と記憶の彼方から浮上してくる姿が微妙にブレながら形作っている様な気がしている。


