42 posts tagged “猫”
テレビを見ていたら思わずソファで寝入ってしまった。飲み慣れぬビールが効いたらしい。
うつらうつらとしていると鼻先に冷たい感触があり、僕はうっすらと目を開ける。飼い猫のジュニアが彼の鼻先を僕の鼻に触れたらしい。間近にジュニアの大きな目がそこにあった。「やあ」と声をかける。彼は黙って僕の臭いを確認している。
猫の鼻は犬のように濡れてはいない。それでもかすかに湿り気がありそして冷たい。それ以上に近づいて僕を確認する動作が可愛いと思う。
会社で犬を飼っている友人がいる。雑談で、猫の肉球を嗅いだことがあるかと、突飛な質問を聞いてきた。僕はないと答えた。すると是非とも一度嗅いでみて欲しいと言う。何故かと問えば、彼の飼い犬の肉球を嗅いだら、前足は何も臭わなかったけど、後ろ足の肉球が臭いのだそうだ。その臭いは、あくまで彼の言葉で言えば「うんこ臭い」のだという。それで猫はどうなのかと思ったのだそうだ。
へぇー変わったことを思うな、と言いながらも、僕もその話を面白いと思った。そこで近づいてきたジュニアの肉球をこの際嗅いでみることにした。多少後ろ足の時は抵抗したが、それでも彼は嗅がせてくれた。見も知らぬ人が猫の肉球を嗅いでいる僕の姿を見たら一体どう思うのだろうと、少しおかしかったが、結論を言えば前手と後ろ足共々臭いは一切しなかった。
概ねの猫は犬に較べて臭いは少ない。それでも猫嫌いの人からしてみれば、猫を飼っている家は十分に猫臭いのだという。慣れが僕を感じさせなくなっているのかもしれない。ただ、犬族と猫族の狩猟方法の違いから、臭いの多少は犬と猫にはあるようには思う。
動物について知識はないが、例えば犬の場合、肉球に臭いがあると言うことは、集団で狩りをする犬族のこと、風上と風下に分かれて獲物を狩る時、風上の犬の臭いを早めに獲物に周知させることは、風下にいる犬たちの狩りをしやすくするかもしれない。猫族の場合は単独行動が多いので、やはり臭いは少ない方が有利だと思う。
そんな感じで友人の要望(猫の肉球の臭い)に答えたのだが、さてさて友人の反応はどうなるのか、少し楽しみだったりする。
追記:「猫の肉球 占い」を試してみた。それは以下の結果。僕はシャム猫らしい(笑)
amehareさんはシャム だにゃ!
| ● | シャ ムさんのあなたは、新しいこと好き、流行好きなタイプです。頭の回転が速く、人を楽しませることも大好き。実質よりも雰囲気重視なので、フラフラと中身の ない異性に吸い寄せられてしまうこともままあり。器用で、誰とでもあわせることが出来る反面、関係は中途半端になりがちでもあります。流行ばかり追いかけ ず、たまには伝統的なものに触れてみると、いい出会いがあるかも。 |
帰宅途中で見つけた、電信柱に貼ってあったポスター。そこには「迷い猫預かっています」と赤く大きい文字と、迷い猫の写真が貼り付けられていた。
初めて見た。「猫が迷子になりました。探しています」とか「猫が生まれました。里親求めています」とかは、たまに見かけるけど、こういうのは「犬」以外に今まで見たことがなかった。
写真の猫は紫がかった短毛の美猫で、とぼけた表情で、それでも背筋をぴんと伸ばし、どこかのお姫様のような感じだった。しげしげとそのポスターを眺め、その猫と一緒に暮らしていた方が、早くこのポスターに気がついてくれれば良いと願った。
後から、そのポスターを写真に撮ってブログにでも掲載すればよかったかもと気がついた(無論、ポスターに掲載してある個人情報は省いて)。いつもすべきことは後になって気がつく・・・
「はてな」のグループに「ねこったー部」というのがあるのを知り早速加入した。「ねこったー部」とは、1)猫好きであること、2)twitterをしていること、の二つの条件がそろえば誰でも入れる(無論、はてなのIDは必要だけど)。入ったついでに部活(何かを書くこと)をしてみる。この記事がそうです。
本当は今日は友人達と丹沢に行く予定であった。でも疲れが抜けなくて、直前(昨日)でリタイアさせてもらった。たかが丹沢といえども僕にはつらい。実を言えば今日行けば3度目のチャレンジとなるはずだった。一度目は極度の寝不足のまま決行し、行程の真ん中まで行かずに体力が殆ど無くなって断念。二度目は雪の中ワークブーツでの登山という無謀な事をして、雪深くなる前に下山。そして今日が三度目となるはずだった。体力的には自信があった。それまで結構鍛えてきたという思いがあったし、今までの2回友人達の「大丈夫?降りようか」という優しさに、これで解放されるという喜びと、その中で複雑に絡まる無念の屈辱を感じていたから、それを払拭する雪辱の機会だと思っていたのだ。
でも今ではリタイアは正解だと思っている。だって今朝おきたのは昼近く。何時間寝たんだろう。指折り数えるのが怖くなるほど眠り男だった。
今日は一日家でジュニア(猫)と遊ぼうか、ってジュニアがいない!おおお、まだ布団の上で丸まっている。考えてみれば、彼は僕以上の眠り猫だった。
この状態に入ると、VOX以外も全く書けなくなる。その代わり本は良く読むようになる。そして写真も撮る。面白いことに写真の撮り方も、アウトプット指向ではなく、変な言い方をすれば本を読むような感じで写真を撮る。つまり自分の中に風景を取り込むという感触に近い。写真論によっては、写真とは思考に近い行為だと認識する方もいる。でも僕の場合、写真を撮る行為と思考の活動とは若干違う。といっても、撮るという行為は思考と似ているとは思う。
話は変わるが、僕は写真を撮る時、撮る対象が猫の場合が最も現像処理(RAWからJPEG変換)に気を遣う。猫を捕る事は、何かしら僕にとっては特別なことなのかもしれない。でも最近はとんと野良猫を見かけなくなった。時期的に言えば、繁殖の時期だというのに、街で見かける猫の数は少ない。
標準キットのレンズしか持っていない僕にとって猫を捕るのは至難のことだ。まずは近くに寄らなければならない。でも大概の野良猫は警戒心が強く(警戒心が強い方が良いと思う)、ある一定の距離以上は近寄らせてもくれない。そこで僕は「マタタビ」の粉末を常備している。でも不思議なことに、猫と出会う時は、その粉末を忘れて持っていない時が多い。
猫言葉を話すことが出来たら良いのにと思う。猫言葉で「写真を撮るだけだよ」と伝えるのだ。英語とかを覚えるよりも猫語を覚えたい。犬笛があるのだから猫笛もあって良いのではないか、等とも思う。でも見たことも聞いたこともない。
ただ、猫語を覚えると、猫たちの会話を知ることになり、逆に彼らが人間のことをどう語っているのかを知ることにもなる。それを聞くのも何か嫌な感じがする。
とまぁ、こんな感じで思いつくまま、今後もVOX以外の記事で書いていこうかと思っている。
そうそう、twitterの日本語処理がとてもよくなった。こちらは短い独り言(もしくはつぶやき)となるが、これは案外楽しい。失語症の時期には、もしかすれば丁度良いリハビリの道具なのかも知れない。もしtwitterをやられている方がいらっしゃれば、気軽にaddして欲しい。様々な人のつぶやきを聞くのも楽しいし面白い。
なぜか時折フィルムで無性に写真を撮りたくなる。この気持ちは、実は僕にとっては自己矛盾な行為なのだ。なぜかといえば、デジタルカメラを使うということは、「写真」というものとはカメラだけのものではなく、むしろ機械及び媒体に特定できないもの、という認識を持つということ、に近いと思うからだ。
さらにデジタルカメラでの撮影は、現像処理もしくは様々なレタッチソフトで、撮影者のイメージを概ね現すことが可能だとも思っている。つまりデジタルカメラと、イメージの具象化に必要な道具(ソフト・ハード)を持てば、フィルム写真と同様の結果を得られるとさえ思っている。
だから時折のこの気持ちが不思議でしょうがない。しかもモノクロフィルムで撮りたくなるこの気持ち。どこかにフィルムに拘る気持ちがあるに違いない。もしくはデジタルとフィルムでは、僕の感性の中で何かが違うのかもしれない。言い放してしまえば、単なる感傷的で懐古趣味的な感覚なのかもしれない。でもまぁその流れに時折体をゆだねるのも悪くはない。