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近くの公園には梅林があり、ちらほらと花が咲き始めた。その中でも桃色の梅は花が早い。殆ど満開状態となっている。 小正月が終わったばかりだというのに、梅花は春の到来が確実にくることを僕に教えてくれる。
見ると年の頃60代と思える婦人が、両手でデジカメを持ち、背伸びをし少しでも梅花に近づこうとして写真を撮っていた。 僕はその姿を写真に撮る。するとそれに気が付いたのか、婦人が僕の方に振り向く。少し目線が合う。 そして僕の方に近づき話しかけてきた。
「梅はどうやって撮れば良いんでしょうか?」
質問の意味がわかるのに数秒かかった。どうやら梅花を撮っても画面全体が暗くなり、自分が思ったイメージにならないようだった。
「日を背にして、日が当たる梅の花を撮られると良いと思いますよ」、と答える。彼女はふむふむと聞いている。 きっとデジタルカメラを購入したばかりなのだ、そんなことを僕は推察する。続けて彼女は僕のカメラを見て、 「私も以前はフィルムのカメラを使っていたんです。でも今はこれ。写ったものが捨てられるから良いんです」と話してきた。
「あ、これもデジタルカメラなんですよ」、と僕は答える。その答えに彼女は驚き、そして「ああ、
今はこういうデジタルカメラもあるんですねぇ」と感心する。
それからはお互いのカメラ談義となった。婦人のデジタルカメラは、今使っているので2代目なのだそうだ。
その前はコンパクトのフィルムカメラを使っていたとのことだった。
「デジタルカメラは便利ですよね、捨てることが出来るから」、そう彼女は話す。気が付けば、彼女のカメラ談義の中で何回も 「捨てられる」という言葉が出ていた。どうやら婦人にとって、デジタルカメラの最大の利点は「画像が捨てられる」ことにあるらしい。 その意見が面白いなと思う。
話を聞いていると、どうもフィルムカメラを使っているときは、自分が気に入った写真もそうでない写真も両方とも焼き付けるので、 写真だけ溜まってしまいその処置に困っていたらしい。それがデジタル化することにより、気に入らぬ写真はその場で消去できる、 そのことが彼女にはとても良いことと思えるのである。
「パソコンはやられるのですか?」、と僕は聞いてみた。残念そうに彼女は首を横に振る。「もうこの歳では無理です」
「そんなことはないですよ」、と僕は言いながら、確かに今のパソコンのマンマシンインターフェースは、
ある意味、老齢を迎えられている方々には優しくないだろうなとは思う。
(マンマシンインターフェースには色々と思うことがあるが、それはまた別の話)
では彼女はデジタルカメラをどのように使っているのかと言えば、デジタルカメラに差しているメモリカード(256MB)は1枚だけで、 写真をある程度撮り画像が溜まれば、それを持って写真屋に行き、気に入った写真のみプリントアウトするのだそうだ。そしてその後、 メモリカードの画像は全て消去する。
フィルムカメラはフィルム代・現像費・プリント料などお金がかかる。でも気に入った写真は何枚も複製が出来るという利点があった。 デジタルカメラは、お金はかからないけど気に入った写真の複製が出来ない。そう彼女は語る。僕は面白いなぁと思う。
複製のしやすさ、画像の保存のしやすさ、画像管理のしやすさ、 それらは一長一短はあるもののデジタル化の方に軍配が上がると僕は思っていた。それが彼女にとってはどうやら逆らしい。
どうやら彼女にとって「写真」とは、紙に焼き付けられた(もしくはプリントアウトされた)状態を言うらしい。その前の状態は「写真」 とは言わない。それらは写真以前のもの、つまりはフィルムで言えばネガのような、そういう状態のようだ。そう考えれば、 婦人の写真への対応の仕方には一本の筋が通っているし、パソコンを利用しないデジタルカメラの楽しみ方としては、 ある意味合理的かもしれない。
婦人にとっては、フィルムもデジタルも関係ない。できあがる写真が気に入るか否かである。実を言えばその点で、僕は彼女に賛同する。
さらに「写真」とは紙に焼き付けられた状態のもの、との意見にも別に異論をはさむつもりもない。
「捨てられるんです」の背景に、「捨てられなかった(プリントアウトした)」貴重な一枚の写真が見えるからである。
個人が撮す「写真」とは「捨てられなかった」貴重な一枚の積み重ねにあるのかもしれない。そんなことを思う。
そのほかにも彼女から様々なことを聞いた。60代と思っていたけど、実際は70代だそうだ。夫が数年前に亡くなったこと。 自宅は四国の高松であること。娘夫婦が東京に住んでいて、年の三分の二はこちらで暮らしていること。 高松への往復時には必ず京都に途中下車し写真を撮りまくること。写真旅行で色々な場所に行ったこと。写真仲間の最年長で80代の方がいて、 その方の写真がプロに褒められ、とても嬉しいと言っていたこと。四国に行くときは、瀬戸内海の小豆島がお奨めであること。 カメラの他は手芸の趣味もあること。公園の近くに長渕 剛の邸宅が建築中であること、等々・・・。
だいたい一時間近くは話を聞いたかも知れない。でも話は面白かったし、第一僕は人の話を聞くのが大好きなのだ。 それに同じく写真が好きな僕にとって、年齢とは関係なく、彼女の話が自分に思い当たることも多かった。
自分が気に入った写真を、自分の友達に見せ、同好同士が見せ合い、色々なコメントとか評価をもらう。 褒められれば嬉しいに違いない。そしてそれら全てが楽しくてしょうがない。それは僕が頻繁にネットを通じてしていることと同じことでもある。 色々な人の意見を実際に試すことで、他人が喜ぶ写真が見えてくる、あとはそれと自分の感性との折り合いであろう。
さらに彼女はデジタルカメラの操作を覚えたことから、携帯電話の操作、特にメールについて、違和感なく習得出来たそうである。 人生を楽しんでいるなぁ、僕は彼女の話を聞きそう思った。そしてその中心にカメラがあることが何故か嬉しかった。
昨日の東京は風が強かったがすこぶる快晴だった。この3連休の天候は荒れると人から聞いていたので、連休二日目の快晴は正月休み最後のプレゼントに思え、僕はカメラを抱え表に飛び出した。
写真を撮ると言っても何も大袈裟な出来事を記録するということでもない。どんな写真でも、その人の、おそらくは審美的な価値観より発する、写真を撮るだけの価値が対象にあるのは事実だと思うのだが、それ以前に写真に収める対象は、ただ「そこに在る」何かであるのは間違いない。
そこに在るものを、そこに在るがままに撮す。ただそれだけ。それなのに何故これだけ熱中できるのだろう。
でも今回写真を撮りながら一つだけ、些末なことだけど、気がついたことがある。それは、そこに在るものを撮すにしろ、カメラを構えるとき、対象がそのままでいることを強く願うことである。風よ少しの間止まれ、と僕は願った。猫が愛らしい表情を見せたとき、その表情のままでいて欲しい、と祈ったりもした。
普段では、つまりカメラを構えていないときは、意識しないような感覚。仮に意識するにしても、例えば風になびく草花の姿を見るとき、爽やかな風を肌に感じ、風音を聞き、ほのかに甘く漂う花の香りを嗅ぐ、それら人間の五感から受ける感動は花の姿だけからではない。まして風に対し止めと願うこともない。
対象と僕の間にカメラを置くだけで、僕の感覚は少し変わる。それは良いか悪いかの価値判断などでは無論ない。
そして良い写真を撮りたいと望む。良い写真とは何かを知ることはない、でも僕はそれを知っているかのように、写真を判別する。
写真は、誰かが言ったように中毒性があると思う。その中毒性は、一つには対象を選択し、撮影のイメージを造り、そのイメージに合わせ機械を設定し、シャッターを押す、それら一連の流れが自己完結することにある。それでいて対象との関係を構築し、その関係に参加する、幻想とはいえ繋がりをそこに感じるのである。自己への引きこもりと他者への繋がり、それらの両感覚が写真を撮る際に持ち、ひいては中毒性が生じるのではないか、と僕は思う。
まぁどうでも良いことではあるが・・・
Pentaxのデジタル一眼を持つ僕としては、この話題に若干の興味を持っている。
両社の企業価値を考えれば、HOYAのPENTAX吸収合併が実際のところだと思う。株式の割り当て比率もそれを現しているし、今のところ表向きは対等合併の様相を見せてはいて、新社名にPENTAXの名前が残るそうだが、実態として対等だとは誰も思っていない。
合併経験者であればおわかりの通りに、新会社での力関係は、元のどの会社が人事権を掌握するかでわかる。新会社のCEOはHOYAのCEOがそのまま引き継ぐことを考えれば、管理部門の担当役員もHOYAの人材がなるように思える。
新会社の最重要課題は医療機器事業との事で、シナジー効果は研究部門に期待しているらしいので、おそらく旧PENTAXはカメラ事業のみ人事の体制を維持することになるのであろう。まぁ、それも中長期で塗り変わっていくことになるとは思うが。
それに、会社の業務の流れ、それぞれの役職ごとの決裁権限などの決めごともHOYAに準ずるとなれば、徐々にPENTAXらしさ、それが会社の規模とカメラ業界の位置づけからくるにせよ、変わっていくのかもしれない。
最近のデジタル一眼Kシリーズは、韓国との共同開発ではあるが、PENTAXの会社の規模とシェアからくるカメラ業界の位置づけ、つまりは背水の陣的な状況の下で可能な製品だったと思う。後発の商品だけに売れる機能を満載しているが、それでも例えば他の会社で製品化できたかは疑問だと思うし、PENTAXだからこそ商品化できたのだと僕は思う。
HOYAは高収益企業として知られている。それは企業の体質として悪いことではない。でも仮に、HOYAと合併後にKシリーズの製品化ができたかと言えば、高収益企業体質ゆえに、それは難しかったのではないだろうか。
これも僕の想像だが、おそらく、PENTAXは今回のHOYAとの合併は織り込み済みで、その前にK10Dの製品化を計画したのだと思う。販売実績は当然に新会社での部門の評価につながる。K10Dの成功は、それが一時的にせよ、新会社におけるカメラ事業の旧PENTAXの強みにもなるし、資本の再配置においても有利に展開できる可能性がでてくる。
こう考えていけば、現在のPENTAX社員たちのマインドは、したたかで強いようにも思えてくる。まずは来年10月の新会社までの準備期間が、ユーザが期待するPENTAXらしさが新会社で残るか否かのハードルになると思うが、なんとか頑張るような気もしてくる。
NIKON D40のカタログを見て思ったのは、まず軽いと言うこと。余分な機能をそぎ落とし、必要な機能をまとめることで、このコンパクトさを実現したのであれば、それなりに評価できると思う。
様々なサイトで入門機種として紹介しているが、それはコスト面からの見方だと思う。今後使うか使わないかわからない機種に
、十万円以上の価格は、新規購入者にとって大きなハードルになるのはよくわかる。
しかし、D40を見る限りにおいて、必ずしも入門機種と成り得ていないようにも思える。例えば、NIKONの一眼ポリシーかも知れないが手ブレ補正がない事とか、コストを抑えるためにファインダー倍率が約0.8倍とか。
入門機種は買いやすい価格帯に位置させるのは無論とは思うが、逆にその機種から発展させる(同一メーカーの上位機種に買い換えさせる)為の戦術機種という位置もあると思う。
であれば、写真を撮ることの楽しさを十分に知ることが出来る機能を色々と装備して欲しかった、というのが正直な僕の気持ち。
それからカタログを見て不思議に思ったのが、D40の画像素子はほぼPENTAXのK100Dと同様なのに、RAWファイルサイズがカタログ値ではK100Dの約半分となっている。RAWは各メーカそれぞれなので、一概に決めつけられないのはわかるけど、このサイズの違いに多少驚く。
(D40カタログ値:約5MB、K100D実際値:約10MB)
NIKONのRAWフォーマットがPENTAXと同じ情報を持ちながら(?)、サイズがこれほどコンパクトになっているのなら、それはそれで魅力だと思う。それにWindows VistaではNIKONのRAWフォーマットが標準装備されるようだし・・・
「カメラ破壊」ではなく「ガメラ破壊」であれば、ガメラファンの僕としては興味を強く持ったであろう。でも現実には「ガメラ」ではなく「カメラ」が壊れたのであった。(挨拶)
壊れたカメラは長年使い続けてきたSONYのCyberShotで画素数は4Mのものである。4Mと言っても、通常の利用では全く過不足がなかった。ただ光量が乏しい夕暮れ時に、強いノイズがどうしても発生してしまうこととか、ボケが美しく写り込めないこととか、不満点はあった。でもそれらも画像編集ソフトを使えば、ある程度は解消できていた。
いずれはデジタル一眼を買うつもりではいた。ただ、Pentaxの新たな機種(K10)を実際に触ってからでも遅くはないと思っていたので、まだ先の話でしかなかった。
「破壊」とは穏やかではない言葉だと思う。実際は僕の不注意で落としてしまい、それが運悪く階段であり、カメラは何度もぶつかりながら、一気に下まで転がり落ちていったのである。
スローモーションの様にカメラが階段を落ちていく様は、「時間よ止まれ、君は美しい」という、何かのキャッチフレーズを思い出させた。勿論、カメラが壊れていく過程を見ながら、「君は美しい」とは思えなかったが・・・
僕には幾つかの選択肢がある。
一つは、しばらく写真から足を洗うということだ。無論、プロではない僕が足を洗うという表現は正しくない。でもここ1年の「Flickr狂い」は、健全な趣味の領域を遙かに凌駕していた(大袈裟です 笑)。Flickrには、「君もガンバレ僕もガンバル」、というSNS独特の雰囲気が当然にある。写真好きが集まっているわけだから、お互いに話もしやすくコンタクトの輪も拡げやすいのもあり、それがSNSの雰囲気の中で、気が付けばFlickr中心に写真を撮っていることになる。それからしばらく遠ざかるのも良いかも知れない。
二つめは、新たなカメラを早急に購入するということだ。今購入するとすれば、検討機種としてはデジタル一眼がメインとなる。
三つめは、以前と同様にコンデジの購入となる。コンデジも利点は沢山ある。一番はその携帯性だと思う。気軽に撮影でき、しかも画質は高い。だからデジタル一眼の購入があろうとなかろうと、コンデジがあれば、それなりに利用範囲はあると思う。
もしくは上記三つの組み合わせかも知れない。感覚的には1と2かな、と思っている。しばらくFlickrjから遠ざかると言っても、そのしばらくは、僕のことだから1週間くらいかも知れないが(笑
久しぶりにフィルムで写真を撮ろうと一眼を持って散歩に出た。
事前にフィルム、しかもモノクロ!を買ってカメラに装填しておいた。カメラも掃除したし、準備は万端というわけだ。
久しぶりのファインダを覗いての撮影は気持ちがよい。それにシャッター音が心地よい。
不思議と見慣れた景色がファインダー越しに観ると新鮮に見えるから不思議な話だ。
撮影者はカメラを写すとき、それを実際は観てはいない。そう言ったのは、ソンタグだったのか、バルトだったのか忘れた。
人は感動し対象にカメラを向けファインダーを覗く、その刹那撮影者が描く美しさは、カメラのファインダーに見えるフレームを構成する向きへとベクトルが変わる。美しさはカメラのファインダーの中にあるというわけだ。と、これは僕の個人的意見。
いずれにせよ、カメラで写真を撮るのは気持ちがよい。
それが結果的に拙く面白みに欠ける写真であっても、写真を撮っている最中はファインダ内に傑作を常に思い描いている。
それにモノクロの美しさも好きだ。白から黒への無限の階調が、時として深く味わいのある色彩となって僕に映る。
カラーであれば、時として気に食わぬ色も観なくてはならないし、色が豊富なのに美しさを感じないときもある。
勿論、全般的にと言うわけではなく、状況によってはの話だけど、カラーよりモノクロの方が美しいと思うことが多い。
24枚モノクロフィルムを2本を僕はゆっくりと消費した。
思惑としては、撮影後にフィルムをラボで現像と同時に、画像ファイル化しCDに焼き付けてもらうつもりだった。
以前にも何回か、その時はカラーフィルムだったが、やってもらった経験から、特にモノクロだからと区別することなく安易に考えていた。
でもそうではなかった!
聞いたのは富士フイルムの店だったが、ネガからCD化が出来るのはカラーフィルムだけで、セピアフィルムとモノクロフィルムは受け付けないとのことだった。
何が違うの???、と正直今でもわからないか、そういうことだからと店は受け付けてくれなかったのである。
でも紙に焼き付けて、その写真を画像ファイル化しCDに収めるサービスはモノクロでも問題なく受け付けている。
ただしその場合、1枚あたり100円以上の費用が発生するのだという。
他の店を当たってみますと言って、僕はフィルムを持ち帰った。でもおそらく他でも同様だろう。
知らなかった・・・
家が火事になった時、一つだけ持ち出せるとしたら、何にしますか(人ではなくて物です)?
カメラかな。
別に根拠はないし、面白そうな言い訳も思いつかないけど、ただ何となく。
でも実際にそうなったら、パニックになり、気が付いたらわけのわからないものを、例えばビールジョッキとか、持って家が燃える様をただ呆然と眺めているようにも思う(笑
結論がそう見えているんだったら、訂正しようかな、ビールジョッキって。
そしたら、実際はカメラを持って逃れることが出来そうだし。
今使っているデジカメはSONYのCyber-shotの古い奴。画素数は4.1Mega。
今となっては性能面で劣る・・・かもしれないと思いつつも使い続けている。
数年も使い続けていると、このカメラの能力を最大限に使いこなしているぞ!、と言いたいのだが、言ったところで、それがなんになる。
ようは僕にとって良い写真が撮れればそれでよい、と格好を付けてもみる。
それであれば、ハードとしてのカメラは関係ないとなるのであろうが、あにはからんや、そんなこともない、と思う・・・
写真は撮影者の眼差しが大事だと思うが、やはりレンズを含め物理的なカメラの持ち味に依るところも大きい、と思う・・・
「・・・と思う」を繰り返しながら、やはりデジタル一眼を買おうと思い始めている。
最初PENTAXが良いかもと思っていた。何か機能とか価格が潔い。そこにSONYのアルファが登場し、これも悪くないかなと思っていたら・・・今度はニコンのD80が登場するという。じゃあ、それを待ってから考えよう、仕切り直しだと決めたら。CANONのkissの次期バージョンの発売も聞いてしまった(笑
あわわの毎日、しかしこうやって考えるのも又楽しでもある。
友人からSONYのDSC-U20を譲り受けた。以前より探していた製品だったのでとても嬉しかった。譲り受けたとき相手に「本当に良いの?」と聞いたら、殆ど使っていないと言う。そして僕がこのカメラの利点を一つ一つあげると、それに頷きながらも、「でも今は携帯電話のカメラの方がよっぽど良いよね」と答えたのである。確かに現在の携帯のカメラの性能は良くなった。僕が持っている携帯のカメラはおまけ程度だが、確かにカメラ専用機に遜色ないほどの解像度と性能を持っている携帯機種も多い。
それでも僕としてはやはりこのU-20が良い。2Megaの解像度ではあるが、やはり専用機として内蔵しているソフト面が優れていると思うのだ。それにメモ代わりに使うにはこのくらいが丁度良い。それにとにかく可愛いと思うのである。でも思った以上に、今まで使っていた友人の評価が低いのも気になった。
使い始めて最初に「あれれ」と思ったのは、撮ろうとカメラの液晶画面を見たら画面が崩れたときだった。それも崩れ方が、なんというかメルトダウンというか、不気味なのである。それも十枚くらい撮る間に1回はそのような症状になるのである。その時はバッテリー残量が少ないこともあり、それが原因かなと単純に思った。
今日DSC-U20のサイトを見たら、SONYから重要なお知らせと題して、画面の崩れに対する無償修理が載っていた。あの症状は故障だったのである。それで早速SONYサービスセンターに連絡し、明日引き取りに来ることになった。友人はそのことを知らずに使い続けたと言うことになる。あの症状が頻繁に出るようでは、確かに評価は下がる。
修理が戻るのに約1週間くらいかかるが、戻ったら常に携帯し街の映像クリップをどんどん撮りたいと思っている。U-20君、君の引退はまだまだ先の話だよ。