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カメラなんて、といつも思ってる。カメラなんてシャッターを押すだけなんだ。カメラなんて僕のイメージ通りの写真は一度も授けてくれない。カメラなんてコントロールしようなどと考えるのが無駄というもの。カメラなんて何だって構わない。僕は写った写真をただ選択するだけ。これが良い悪いなんてこと本当はわからない。ただ直感。だからこそ選択の中に僕の写真に対する思い入れが出てくるのかもしれない。
なんでこんなことを話すかと言えば、新たなカメラを購入したからだ。今まで使っていたのは(今でも使っているけど)PENTAXのK100D、新しく買ったのが同じくPENTAXのK20D。そして僕はK20Dに苦労していると言うわけだ。この苦労は「カメラなんて」と言っていた僕には似合わない、それは重々わかっている。だからこそ苦労している僕に、僕自身が驚いている。
K100Dの時はシャッターを押した瞬間にある程度の画像イメージが浮かんだけどK20Dの場合全くそれがない。慣れの問題であるのはわかっている、でもそれが三日も触り続け撮り続けているのに未だにわからないとなると、まぁ多少の落ち込みがあるというものだ。
皆様にK20D買ったよー、こんなに良いカメラだよ!って見栄でも良いから宣言した気持ちは山ほどあるけど、それはいつの事やら。まぁ開き直るという手もあるけど、なかなかねー、そういう性格じゃないようで(笑)
だから口だけ、「カメラなんて」って言っている。
サルスベリの林の横を通る。サルスベリの木肌は見方によって鍛え抜かれた人間の筋肉のようにも見える。緊張した筋肉の部位が日差しにあたり艶めかしく光る。夏になれば可愛らしい花を咲かせるが今は蕾さえ見かけない。ただ花の時期は、このあたりはヤブ蚊が発生し近づくことさえ難しい。
中は少し埃っぽいが、それでもこの雰囲気に落ち着く。
エマを総じて言えば、作者である森薫さんの「エマ」登場人物に対する愛情・思い入れの深さがこの漫画の世界に行き渡っていると言うことだろうか。読んで味わう心地よさは、きっとそういうところからくるのだと思う。
おそらく森薫さんは最後の話としてエマの結婚式を前々から計画していたのだと思う。ミュージカルで言えばフィナーレにも近い。主な登場人物が勢揃いで文字通り踊り歌い終幕となる。(その中でミス・キャンベルに対する心配りも忘れてはいない。)
一つ一つの話を持ち出せば、個人的には8巻目・9巻目の方が面白い。でも最終巻である10巻目は、これはこれで良いとも思う。フィナーレの善し悪しを評するほど無粋なものはないと思うからだ。果たして森薫さんは自分の思いの全てを書ききったのであろうか。少しは残しておいて、それを次回作に生かしてくれたらとちょっと思っている。無論設定はエマと同時代のイギリスで。そこでちらりとエマの姿を垣間見せてくれたら申し分ない。
We heart it ・・・・・教えてもらった、「FFFFOUND」と似た画像のクリップサービス。なかなかに面白い。FFFFOUNDは招待制なので入りたくとも入れない、でもこのサイトも十分に刺激を与えてくれそう。
tumblr・・・・・最近tumblrの使い方を、単なるRSSの掃きだめ(笑)から、本来の使い方に近い「落書き帳」に切り替えた(似たようなもの・・・?)
LibraryThing・・・・・着々と?日本語化が進んでいる。この本でつながるというコンセプトが面白い。神田古書店街のデータを暇なときに盛り込んでいる。
FriendFeed・・・・・まぁとりあえず加入しましたという感じ。デスクトップアラートツール「Alart Thingy」が完全日本語化になればもっと使いやすくなると思うのは、誰もが思う話。
ついでに、上記のサイトで僕はここにいます。
We heart it、tumblr、LibraryThing、FriendFeed
「仕事は何?」と聞くと勤めている業界もしくは会社の名前を答える人が多い様に思う。でも、ハンナ・アーレントを引くまでもなく、仕事と労働は違うと思っている。勿論、会社での、もしくは生活の糧としての「仕事」が自分の仕事と思っている人はそれはそれで多くいると思うし、全然否定するつもりはなく、むしろ良いことだと思う。でもその場合、「仕事は何?」の答えとして、間違いなく企業名とか業界の名前だけでは答にはならないとは思う。
「僕の仕事は何?」と自問自答してみる。その質問は前提として勤めている会社での「仕事」を除くことにする。
写真と答える。写真を含め「プロ」と「アマ」とに分ける仕事が幾つかあるが、写真に関しては意味がないように思える。いるのは写真で生活する人と、そうでない人だけのように思うのだ。写真と答えてみたものの、何か違う気がして即座に取り消す。
詩を書いてます。誰も聞いていないことを確認して小さな声で呟く。今までに数編しか書いていないので、書いていないと言った方が正しい。詩を書いたことがない詩人。悪くない。でも少し嘘っぽく聞こえる。だからこれも却下。
ライダーです、と言いたいけど、これは仕事ではないのはわかる。
「サーカス団ひとりの猫使い」と自信を持って答える。でも少し考えてみれば、ジュニアに使われているのは僕の方なのだ。
「猫屋敷の執事」、間違いなくこれは言える。僕はジュニアの泣き声・尻尾の振り方・目線で何を望んでいるのかがわかる。彼にとってかなり優秀な執事である。
「読書」は仕事になるのか?などと考える。でも「読書」は活動の元に近いように思える。何かを創る才能があればと思うが、昔から壊す方が得意だった。「散歩」はどうだろう、とだんだんと趣味の方向に流れる。そういえばスーパーマンの仕事って何なのだろう。まさか新聞記者とは答えまい。
テレビを見ていたら思わずソファで寝入ってしまった。飲み慣れぬビールが効いたらしい。
うつらうつらとしていると鼻先に冷たい感触があり、僕はうっすらと目を開ける。飼い猫のジュニアが彼の鼻先を僕の鼻に触れたらしい。間近にジュニアの大きな目がそこにあった。「やあ」と声をかける。彼は黙って僕の臭いを確認している。
猫の鼻は犬のように濡れてはいない。それでもかすかに湿り気がありそして冷たい。それ以上に近づいて僕を確認する動作が可愛いと思う。
会社で犬を飼っている友人がいる。雑談で、猫の肉球を嗅いだことがあるかと、突飛な質問を聞いてきた。僕はないと答えた。すると是非とも一度嗅いでみて欲しいと言う。何故かと問えば、彼の飼い犬の肉球を嗅いだら、前足は何も臭わなかったけど、後ろ足の肉球が臭いのだそうだ。その臭いは、あくまで彼の言葉で言えば「うんこ臭い」のだという。それで猫はどうなのかと思ったのだそうだ。
へぇー変わったことを思うな、と言いながらも、僕もその話を面白いと思った。そこで近づいてきたジュニアの肉球をこの際嗅いでみることにした。多少後ろ足の時は抵抗したが、それでも彼は嗅がせてくれた。見も知らぬ人が猫の肉球を嗅いでいる僕の姿を見たら一体どう思うのだろうと、少しおかしかったが、結論を言えば前手と後ろ足共々臭いは一切しなかった。
概ねの猫は犬に較べて臭いは少ない。それでも猫嫌いの人からしてみれば、猫を飼っている家は十分に猫臭いのだという。慣れが僕を感じさせなくなっているのかもしれない。ただ、犬族と猫族の狩猟方法の違いから、臭いの多少は犬と猫にはあるようには思う。
動物について知識はないが、例えば犬の場合、肉球に臭いがあると言うことは、集団で狩りをする犬族のこと、風上と風下に分かれて獲物を狩る時、風上の犬の臭いを早めに獲物に周知させることは、風下にいる犬たちの狩りをしやすくするかもしれない。猫族の場合は単独行動が多いので、やはり臭いは少ない方が有利だと思う。
そんな感じで友人の要望(猫の肉球の臭い)に答えたのだが、さてさて友人の反応はどうなるのか、少し楽しみだったりする。
追記:「猫の肉球 占い」を試してみた。それは以下の結果。僕はシャム猫らしい(笑)
amehareさんはシャム だにゃ!
| ● | シャ ムさんのあなたは、新しいこと好き、流行好きなタイプです。頭の回転が速く、人を楽しませることも大好き。実質よりも雰囲気重視なので、フラフラと中身の ない異性に吸い寄せられてしまうこともままあり。器用で、誰とでもあわせることが出来る反面、関係は中途半端になりがちでもあります。流行ばかり追いかけ ず、たまには伝統的なものに触れてみると、いい出会いがあるかも。 |