映画「Fur」
ダイアン・アーバスの評伝を基にして作られた映画「Fur」が近々日本でも公開する。主演はアーバス役にニコール・キッドマン。キャスティングとして彼女は適任だと思う。
しかしどんな映画になるのだろう。裕福な家庭で育ち、ファッションカメラマンから、一転して、家族を捨て、個性的な写真家に変貌する様は、何が彼女をそうさせたのか、という点で興味がわく。しかも、その役をキッドマンが演じるとなると、映画に期待しないという方が難しい。
ただ結末(自殺)を知っているだけに、映画後半は、最期まで描くとするのなら、闇の中、坂道を転がり落ちるような不気味さが漂う様な気がしてならない。その所を、エンターティメントとしてのハリウッド映画はどの様にまとめるのだろうか。
おそらく身障者のダンスパーティもあることだろうし、ヌーディスト・キャンプの場面も登場することだろう。でも題材からくる内容の重たさは、描き方によりだいぶ変わる。
勝手に想像すれば、現代的なセオリーの中で、アーバスの撮った写真の世界が重たく描かれることは無いとも思う(現代のテレビなどで流れる映像はさらに強度が増し、アーバスの時代、60年代とくらべそれらの映像に慣らされている、ということもある)。それゆえ、アーバスの時代を、アーバスが撮影の対象者から受け取った感覚を、映画で表現することも難しいとは思う。
アーバスの写真、もしくは彼女自身について、多くの人が語っている。無論それらで描かれるアーバスは、それぞれで違う。そして映画として、また別のアーバスが語られる。生前に彼女は語っていた。
「映画は虚構と関係があり、写真は事実に近い」(確か 笑)
アーバスもきっと草葉の陰で、自分を基にした映画を観て、苦笑していることだろう。そして再度、自分自身が語った言葉を繰り返すに違いない。
しかし、主演のニコール・キッドマン、「めぐりあう時間たち」ではヴァージニア・ウルフ役をやったし、今回はアーバス。二人の共通項は、単純に思い返してみても意外に多そうだ。それに両者とも難しい役所ではある。まぁ、演技派の彼女だからこそ、きちんとまとめてくれるに違いない。
米国での「Fur」公式サイトはここ
補足:アーバスは日本製の二眼レフカメラを常用していたと聞く、しかし映画ではローライフレックスが使われている。そこら辺の変換に興味がわく。しかしアーバス自身は、自らが語っているように、どのカメラで撮ったのかは問題ではなく、写真に何を写したのか、内容が問題だという姿勢を貫いた。よってその辺に邪推を持つ必要はないのかも知れない。
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